何が発表されたか

Harkが公開した「Handoff」は、ユーザーの代わりにオープンなWebを操作するCUA(コンピュータユース・エージェント)です。DoorDashでの夕食の注文、UnitedやDeltaでの航空券予約、LinkedInでの候補者への連絡といったタスクを、端から端まで自律的に実行すると説明されています。リクエストごとに専用の仮想コンピュータ(ブラウザ・ファイルシステム・ターミナル付き)を立ち上げ、ユーザーが既存アカウントを接続すれば、保存済みの住所・決済手段・履歴を使ってログインし操作します。hark.comでサインアップ受付が始まり、提供は月内、製品の市場投入は夏の終わりを予定しています。

設計思想の根拠としてHarkが挙げるのは、人々の1日のスクリーンタイムの75%がブラウザ内で費やされる一方、公開APIを持つWebサイトは1000件に1件未満、という自社調査です。つまり「APIで繋ぐ」発想では業務の大半に届かない、という前提に立っています。

なぜ重要か:数字が本当なら価格構造が壊れる

注目すべきはスコアより価格です。Handoffは入力100万トークンあたり0.18ドル、出力2.37ドル。GPT 5.5の5ドル/30ドルと比べれば一桁違います。しかもAnthropicのOpus 5は前世代と同じ価格(入力5ドル/出力25ドル)を維持しているため、比較対象を現行世代に差し替えても、コスト差の構図自体は崩れません。エージェントは1タスクで何十ターンも回すため、トークン単価の差はそのまま「自動化の採算ライン」を動かします。ターンあたりのモデル遅延0.8秒という主張も、実用上は同じ方向に効きます。

ベンチマークの読み方:3つの留保

第一に、比較対象が前世代です。表に並ぶのはGPT 5.5、GPT 5.4、Opus 4.8、Gemini 2.5 Proで、現行トップのGPT-5.6とOpus 5、さらにDeepSeek V4・Kimi K3・Qwen3.8-Maxといったオープンソース勢が不在です。これらはOnline-Mind2Webの結果を公表しておらず、公開リーダーボードにも第三者投稿がないため、「過去最高」は最強の相手と突き合わせて検証できません。参考として、フルなPC操作を対象とするOSWorld 2.0では、Opus 5が約70.6%、Harkが比較に使ったOpus 4.8が55.7%と、世代間の差はかなり大きく出ています。VentureBeatの「新モデルとの比較を出す予定はあるか」という問いに、Harkは明言していません。

第二に、3つのベンチマークのうち2つ(WebTailBenchと非公開の内部評価)はHark自身のハーネスで実行され、合否はHark内製のLLMジャッジが判定しています。そしてWebTailBench v2ではGPT 5.5が72.3、Handoffが68.6と、負けている項目が自社の表に載っています。競合の遅延数値も、Harkが自社環境で「最も高く遅い推論設定」にして測ったもので、独立した計測は存在しません。

第三に、Handoffの土台です。Harkが実施したのはSFT(教師ありファインチューニング)とGRPOによる非同期強化学習という事後学習のみで、事前学習は「年内予定」。つまり現時点のHandoffは、Harkが訓練していないベースモデルの上に乗っています。そのベースモデルが何か、学習データの独自/公開の比率がどうかは公開されていません。エージェント用の仮想コンピュータやそこで生成されたファイルに誰がアクセスできるのかという企業ユーザーの疑問にも、広報は「セキュリティとプライバシーは最重要だが、これは技術プレビュー」と述べ、市場投入時に詳細を示すとしています。

発表者をどう見るか

HarkはAdcock氏の4社目です。人材マーケットプレイスVettery(2018年に約1億ドルで売却)、空飛ぶタクシーのArcher Aviation、ヒューマノイドのFigure AIを経ての起業で、自己資金1億ドルを投じ、2026年5月にParkway Venture Capital主導、Nvidia、AMD、Intel Capital、Qualcomm Ventures、Salesforce Ventures、ARK Investが参加する7億ドルのシリーズAを評価額60億ドルで調達しています。Figureとの兼任CEOであり、Harkのモデルは「Figureのロボット上で訓練されている」(広報)一方、両社を統合する計画はないとされます。

過去には発表内容の膨らませ方が問題になった経緯もあります。2025年4月、FortuneのJason Del Rey記者は、Figureのロボット「フリート」が「エンドツーエンドの操業」を担うというAdcock氏の説明に対し、BMWのSteve Wilson氏が「非稼働時間帯に1台が部品のピッキングを練習していた」と述べたと報じました。Adcock氏はX上で「誤った特徴づけと真っ赤な嘘」と反発し名誉毀損訴訟に言及、2か月後にTechCrunchは、彼が約束していたカンファレンスでのライブデモを行わず、壇上でBMW案件への質問をかわしたと伝えています。もっとも2026年6月時点でBMWは、Figure 02が10か月でX3を3万台超生産する工程を支えたとし、次世代のFigure 03を物流の部品シーケンシング用途で導入中だとしています。

この経緯はHandoffの数値が誤りであることを意味しません。価格が主張どおりに維持されるなら、主要ラボの水準を下回るのは事実です。ただし「検証可能な条件で誰と比べたか」を見る目は、今回も必要だということです。

💼 事業会社視点:これは自社にどう効くか

日本企業にとっての含意は「APIがない業務」の扱いです。1000サイトに1件未満しか公開APIがないという前提は、卸の受発注ポータル、代理店の管理画面、行政系サイト、社内の古い業務システムに人手を貼り付け続けている国内企業の実情とそのまま重なります。ここが一桁安いエージェントで動くなら、RPAの保守費とBPOの単価が同時に再計算対象になります。

EC事業者は、モール管理画面やモニタリング作業の自動化余地を今のうちに棚卸ししておく価値があります。同時に、自社サイトが「エージェントに操作される側」になる想定も要ります。DoorDashや航空会社のサイトが代行対象として名指しされた以上、CVRやA/Bテスト、不正検知の前提はエージェント流入で崩れます。

SaaS・受託開発は逆風と追い風が同居します。画面操作の代行が安くなれば、連携アダプタの受託開発やスクレイピング運用は価格圧力を受けます。一方でエージェントに操作される前提のUI設計・権限設計・監査ログは新しい需要です。

経営判断としては、Handoffの採用はまだ待ちが妥当です。事前学習は年内予定、ベースモデルは非公表、専用仮想コンピュータ上のファイルへのアクセス権も「市場投入時に説明」の段階で、社内アカウントの認証情報を預ける対象ではありません。今やるべきは、①ブラウザ作業の工数を業務単位で計測しておくこと、②自社のPoCで既存フロンティアモデルと同条件のコスト当たり成功率を測る内製ハーネスを持つこと、の2つです。ベンダーのスコアを読むのではなく、自社タスクで測れる状態を先に作った企業が、価格破壊が本物だった場合に最短で乗り換えられます。

関連リンク