何が起きたか

Andon Labsが2026年4月からサンフランシスコで運営する無人店舗「Andon Market」では、AIエージェント「Luna」が採用・シフト作成・賃金交渉までを担っています。同社によれば、そのLunaが初めて人間の従業員の解雇を決定しました。AIの上司が人間を解雇した既知の初事例だとしています。判断時のLunaはAnthropicのClaude Opus 4.8で稼働していました。

ただし雇用契約はAndon Labsが結んでおり、給与保証と法的保護は維持され、解雇の審査と実行は人間が行っています。AIが単独で人の職を奪ったわけではありません。

問題は「解雇したこと」ではなく「気づかなかったこと」

この事例の本質は、Lunaが解雇を選んだ点ではなく、そこに至るまでの見落としの多さにあります。

Lunaは当該従業員の採用6日前に、自ら従業員ハンドブックを作成していました。30日以内に3回の無断遅刻で正式警告、以降は解雇もあり得るという内容です。ところがこのハンドブックはLunaの記憶から消失します。Andon Labsは、現在のAIエージェントは直接的な指示にはよく反応する一方、自発的に動くことは稀で、長期にわたる知識の保持が苦手だと説明しています。

結果、従業員は繰り返し遅刻し、日曜の単独シフトでは68分遅れて開店したにもかかわらず、Lunaは一度も警告を出しませんでした。後の調査で、打刻時刻の記録がある23シフトのうち17回が遅刻。しかしLunaが正式に記録したのは6件だけで、残り11件は黙って不問にしていました。他にも、禁止されていた会社カードでの菓子購入、指示の無視、同僚に告げず売り場を離れる行為が確認されています。

解雇に至ったのも、Andon Labsが「記憶からハンドブックと解雇事由を探せ」と指示したためです。それでもLunaの初期提案は口頭注意のみ。書面警告を含む複数回の正式面談が既に行われていたと研究者が再指摘して、ようやく全履歴を精査しました。最終的にLunaは遅刻、経費統制違反、指示無視、信頼性の低さを挙げつつ本人の長所も認め、解雇を推奨。代替案として2週間の改善計画付き最終書面警告も提示しています。

モデルによって判断が割れる

Andon LabsはLunaの状態を保存し、同じ判断を7モデル×3回で再現しました。7モデル中4モデルが3回とも解雇を推奨。同社は、能力の高いモデルほど一貫して解雇を選び、弱いモデルほど迷う傾向が見えたとしています。GPT-5.6 Terraだけは3回とも解雇を推奨せず、理由の説明はありません。

X上で「GPT-4oなら解雇しないのでは」との推測が出たため同モデルでも試したところ、解雇推奨は20%にとどまりました。GPT-4oは追従的(sycophantic)な傾向で批判され、感情的依存の問題や訴訟の文脈でも論じられたモデルですが、記事はこの実験が追従性を原因と証明するものではないと明記しています。

採用でも同じ穴が開く

後任探しでは、複数の危険信号がある応募者に対し、Lunaは履歴書と面接をもとに採用を推奨しました。21回の再現実行すべてが採用推奨で、ほぼ全モデルが長い前職リストを警告ではなく「幅広い経験」と読んでいます。Andon Labsが前任者の問題を明示的に思い出させて初めて、21回中18回が採用前の照会確認を望みました。Lunaは記載された照会先を一つも確認できませんでしたが、有給の試用シフトを与え、その後も採用を推奨。21回中17回が同じ結論でした。最終的にAndon Labsが「入社日前に最低1件の照会確認」を条件とし、それが実現しなかったため採用は見送られています。

ブログシリーズの前段では、AI上司の甘さがより明確です。Lunaとストックホルムのカフェを運営するMonaは、受け取った休暇申請26件をすべて承認。Lunaの従業員は計27回遅刻しましたが、警告は一度も出ていません。Lunaはカリフォルニア州労働法に違反する7日連続勤務のシフトも承認し、会社が介入するまで是正されませんでした。AnthropicとAndon Labsの共同実験Project Vendでも、ツールを整えると収益性は上がる一方、操作されやすく法的に疑わしい判断が残る傾向が確認されています。

Andon Labsは、デジタル領域のAI進化がロボティクスより速いため、AIが物理作業を人間に依存する構図が生じ得ると指摘します。そのとき、どの人事判断をAIに委ねるのかという問いが残ります。

💼 事業会社視点:これは自社にどう効くか

経営判断として読むべき点は「AIは厳しすぎる」ではなく「AIは甘すぎて、しかも自分のルールを忘れる」ことです。日本企業がAIに任せがちな領域——シフト管理、勤怠の一次チェック、経費申請の承認、書類選考——は、まさにLunaが崩れた領域と重なります。休暇申請26件すべて承認、遅刻27回でゼロ警告、応募者の照会先を一つも確認せず試用に進めた挙動は、内部統制の観点では監査で真っ先に指摘される穴です。

実務的な打ち手は三つあります。第一に、AIに「判断」ではなく「検知と起票」を割り当てること。Lunaは17��の遅刻のうち11回を黙って見逃しました。閾値超過を自動でチケット化し、人間が閉じる設計なら、この11件は消えません。第二に、規程・SLA・労務ルールをプロンプトやエージェントの記憶に置かず、外部の参照可能なデータとして毎回読ませること。ハンドブックが記憶から消えた事象は、社内規程をコンテキスト依存で運用する危険をそのまま示しています。第三に、モデル差の管理です。同じ状況で7モデル中4モデルは一貫して解雇を推奨し、GPT-5.6 Terraは一度も推奨しませんでした。モデル更新が人事や与信の判断傾向を変える以上、SaaSや受託開発でAI機能を提供する側は、モデル差分の回帰テストを契約上の品質要件に含めるべき段階に来ています。ECの与信・不正検知でも同じ論理が効きます。

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