何が起きたか
3月12日、カリフォルニア州ロスバノスで代替教員を務めるルイス・デサンティアゴ氏は、掛け持ちしていたコーヒーショップの勤務中に同僚から「いとこがこの写真はあなたかと聞いている」と告げられました。大学時代に撮った鏡越しの自撮り写真が加工され、下着姿で挑発的なポーズを取っているように見える画像がSNSで拡散していたのです。「実際に画像を見たとき、みぞおちを殴られたような感覚だった」と同氏は語っています。
拡散アカウントのひとつが本名をプロフィールに使っていたため、同氏は日常的に代替勤務していた地元中学校の生徒を特定。さらに同日夜、自分の名前を微妙に綴り違えた「なりすましアカウント」も見つかりました。生徒の1人は作成を認め、校内謹慎の処分を受けましたが、画像はSnapchatにも拡散。別の高校での勤務中には、授業中にAirDropで同じ画像が送りつけられました。同氏は「今年度中にこの学区に戻ることはないと思う」と話しています。
WIREDは他に3人の教員から同様の証言を得ています。20代半ばの中学教員は、60代の同僚教員の公開写真が性的行為をしているかのように加工されSnapchatのグループチャットで共有された事例、さらに自身のなりすましTikTokアカウント(不自然な口の動き、本人と異なる声)が性的な発言をする動画を投稿していた事例を挙げます。英国の16〜19歳向け職業訓練カレッジで年間約150人の学生と個別面談する「アリス」氏は、自分が服を脱いで踊るように加工された動画が学生間で出回っていると知らされました。アリゾナ州の小学6年担任ルーク・レッド氏の場合は、自身のTikTokのコメント欄に、同僚の男性教員とキスしているように見えるAI画像が投稿されました。
なぜ重要か
この事案の本質は「AIで画像が作れるようになった」ことではありません。加害と被害の間にある処理プロセスが、どの組織にも存在しないことです。
法制度は先行しています。米国のTake It Down Actは、本物・コンピューター生成物を問わず非同意の性的描写をオンラインで公開する行為を犯罪化しており、サイバーストーキングに該当する可能性もあります。退職した雇用問題弁護士のドナ・ボールマン氏は、生徒が教員の性的画像を作成・共有する行為は職場のセクシュアルハラスメントの「明白なケース」であり、連邦の差別禁止法は雇用主にハラスメントのない職場を提供する義務を課すと指摘します。
それでも同氏は「学校がどう対応すべきかの青写真は存在しない」と述べます。学校は被害者に安全な環境を用意する義務は負うものの、生徒をどう処分したかを被害教員に伝える義務すらありません。レッド氏のケースでは生徒は3日間の停学——学区の規定上、その年齢の初犯セクハラに対する最も重い処分——を受けましたが、それが抑止として機能しているかは別問題です。
見落とされている論点:報告経路が使われていない
注目すべきは、WIREDに寄せられた事例の大半で、教員がプラットフォーム側に直接通報していなかった点です。デサンティアゴ氏は「不適切な写真はTikTokのコミュニティガイドライン違反だから、すぐ消えるだろう」と当初考えていました。レッド氏に至っては、内容違反ではなく「13歳の最低年齢に満たない」という理由で通報し、アカウントは削除されませんでした。
一方、20代の中学教員が生徒たちにTikTokへの通報を依頼したケースでは、なりすましアカウントは速やかに削除されています。Snapのモニーク・ベラミー氏は、AI生成・加工コンテンツを侮辱や性的嫌がらせに用いることを禁じるポリシーと、通報のための「確立されたプロセス」の存在を説明しました(TikTokは掲載前にコメントを提供せず)。
つまり、制度も通報窓口も存在するのに、被害者がそれを知らない・使えないという運用の断絶が起きている。これは学校特有の問題ではありません。
「加害者側」の理解不足という構造
レッド氏は、自分の被害よりも生徒たちのAI利用をめぐる「熱狂的で許容的な文化」を懸念しており、自分より生徒を気の毒に思うと語ります。「今の子どもたちの多くは、自分の行為が他人にどう影響するかだけでなく、インターネット上で何が起き、それがいかに危険かを理解していない」。
アリス氏の証言はさらに複雑です。有資格のユースワーカーとして薬物やパーティー、安全な性について学生と話す立場にあった同氏は、加工動画を作ったと疑われる学生ともそうした会話を重ねていました。「あの会話があったから、彼は一線を越えてもいいと思ったのだろうか、と考えてしまう���。カレッジはディープフェイク作成・配布の危険性について学生教育を行いましたが、復帰後の空気は冷え込んでいたといいます。生成AIによるハラスメントは、被害者個人だけでなく、組織内の信頼関係そのものを削っていきます。
💼 事業会社視点:これは自社にどう効くか
これは「学校のニュース」ではなく、日本企業の労務リスクの先行事例です。 生徒→教員という構図は、そのまま顧客→従業員、社員→上司、退職者→元同僚に置き換わります。SNS運用担当者を顔出しで露出させているEC・D2C企業、営業担当の顔写真を提案資料やサイトに載せているSaaS・受託開発企業は、加工素材をすでに公開している状態です。デサンティアゴ氏の被害元は大学時代の自撮り写真でした。
役員が今週着手すべきは3点です。第1に、通報経路の明文化。事例の大半で被害者がプラットフォームに直接通報していませんでした。「誰が・どのSNSに・どの違反理由で通報するか」を人事とSNS担当が代行する手順に落とし込む。レッド氏が「年齢違反」で通報して削除されなかったのは、通報理由の選択ミスが結果を左右する実例です。
第2に、就業規則とハラスメント規程への「AI生成物」の明記。日本の法制度上も名誉毀損・侮辱・肖像権侵害での対応は可能ですが、社内規程が「撮影・録音」しか想定していなければ初動が遅れます。
第3に、顔出し露出のリスク開示と同意の取り直し。従業員に顔出しを求める際、リスクを説明した上での同意なしに露出させることは、今後は雇用主の安全配慮義務の問題になり得ます。ボールマン氏の言う「青写真がない」状態を、自社では先につくっておくことが差になります。