何が起きたか
Mostik(ロシア語で「橋」の意)は、ロシアの数学者たちが立ち上げたスタートアップです。従来、複数のAIモデルを組み合わせる方法は、あるモデルの出力テキストを別のモデルに渡す形が一般的でした。Mostikのアプローチは、プロンプトを出力へ変換する際に効く重みの数値そのものを介してモデル同士をやり取りさせるもので、テキスト出力を生成する工程を挟みません。
実証として同社が選んだのは、中国発のオープンウェイトモデル2つの組み合わせです。GLM-5.2の最大構成(753Bパラメータ)と、モバイル端末で動作する4B版のQwen-3.5を接続したところ、フルのGLMに対して20分の1のコストで、2モデルのちょうど中間の性能を示したといいます。同社はこの手法で難関コンペARC-AGI 3の首位に立つモデルも作りましたが、優勝を狙うため詳細は明かしていません。
なぜ重要か
ポイントは「大きいモデルにループ全体を処理させなくても、大きいモデルに近い品質に近づける」という点です。元Google DeepMindの計算機科学者Karl Tuyls氏は、小さいモデルを併走させるだけで大幅な改善が得られるとして、効率を追求する事業者にとっては検討しない理由がない、と評しています。
CEOのSasha Malysheva氏は「機械学習では、モデルのアンサンブルが単体モデルを上回ることはよく知られている」と述べ、将来が単一の巨大モデルに収束するとも、能力の伸びがスケーリング(モデルを大きくしデータを増やすこと)から来るとも思わない、と明言しています。社内には「豚の体重当て」——数人のランダムな推測を平均すると専門家1人の見立てを超える——という冗談があるそうで、思想の中心は集合知にあります。
点をつなぐ:オープンウェイトの価値が上がる
この技術が広がった場合の含意は、モデル単体の性能競争の外側にあります。橋渡しの材料になるのは重みにアクセスできるモデル、すなわちオープンウェイトモデルです。AnthropicやOpenAIのようなフロンティアラボのクローズドモデルは、APIの向こう側にあるため、この方式の対象になりにくい。結果として、オープンウェイト陣営の相対的な価値が上がる可能性があります。
LovableのテックリードVladimir Arustamian氏は、フロンティアモデルと生物学・物理学などのドメイン特化モデルを組み合わせられるようになれば、特化モデルの学習がもっと盛んになる、と指摘します。汎用性は大手から借り、専門性は自前で持つ、という分業が現実味を帯びるということです。同氏は、このチームが数カ月しか動いていないのに、何年も先だと思っていたものを既に動かしている、とも語っています。
まだ数学が追いついていない
もっとも、原理面は未解決です。Mostikのチーフサイエンティストで2010年フィールズ賞受賞者、ジュネーブ大学教授のStanislav Smirnov氏は、2つのAIモデルの間に共通の土台を見つけるのは驚くほど難しく、それを扱う適切な数学的言語がまだ存在しない、と述べています。同氏は、この研究がAIモデルの動作原理や人間の脳との比較に新しい知見をもたらし、難問を推論する際のモデルと人間の共通性が見えてくる可能性にも言及しています。技術としては動いているが、なぜ動くのかの記述言語は未完成、という段階です。
なお創業者のMalysheva氏は、兄に「お前には解けない」と言われた数学オリンピックの問題をきっかけに才能に気づき、数年後にサンクトペテルブルクの名門校で学んだ経歴を持ちます。今回のアプローチについても周囲から「若い女性には難しすぎるのでは」と言われ、それが証明してみせる動機になった、と語っています。
💼 事業会社視点:これは自社にどう効くか
日本企業にとっての実務的な論点は「推論コストの構造」です。フルのGLM-5.2に対して20分の1のコストで中間性能、という数字が再現可能なら、SaaS事業者が抱える粗利圧迫の主因——問い合わせ量に比例して増えるAPI課金——に直接効きます。特にカスタマーサポート自動化や文書要約のように、最上位モデルの品質は要らないが安価モデルでは精度不足、という中間帯のユースケースが対象です。
ECなら商品説明生成やレビュー要約、受託開発なら顧客ごとのオンプレ/VPC要件が絡む案件が該当します。ここで効くのは、4BのQwen-3.5がモバイル端末で動く規模だという点で、端末側・エッジ側に小型モデルを置き、必要な時だけ大型モデルと橋渡しする構成が現実的な設計選択肢になります。
経営判断としては二つ。第一に、モデル選定を「クローズドAPI一択」で固定しないこと。この手法が前提とするのは重みにアクセスできるオープンウェイトモデルであり、AnthropicやOpenAIのクローズドモデルは対象になりにくい。将来の選択肢を残す意味で、オープンウェイト系の検証チームを小さ���走らせておく価値があります。第二に、自社ドメインの特化モデルを持つ意味が上がること。Arustamian氏が言う通り、汎用モデルと特化モデルの組み合わせが成立するなら、自社データで学習した小型モデルは単体性能ではなく「接続部品」として価値を持ちます。ただし現時点では詳細が非公開で、第三者による再現検証もありません。PoC予算の範囲で追う対象であり、既存の推論基盤の刷新判断を今動かす段階ではありません。