何が起きたか
Appleは41ページに及ぶ訴状で、OpenAIが機密文書の窃取、ハードウェア試作品の探索、そして信頼していたパートナー企業を「Appleの許可がある」と誤認させて独自技術を使わせた、と訴えました。報じたのはThe Verge(Emma Roth記者)です。
訴えの軸になっているのは3人の元Apple社員です。Tang Tan氏は24年在籍しApple Watch担当バイスプレジデントを務めた人物で、2024年に退社してJony Ive氏のハードウェア企業ioへ移り、ioをOpenAIが買収した後、OpenAIの最高ハードウェア責任者に就任しました。Chang Liu氏はiPhoneのシステム電気設計エンジニアとして8年超在籍し、2026年1月にOpenAIへ。Yu-Ting「Alyssa」Peng氏は2026年4月に移籍しています。OpenAIは初のAIハードウェア端末を来年投入する計画とされ、Appleはこの開発と情報流出が結びついていると主張します。
Appleの主張は具体的です。Liu氏は退職時の機密保持確認や退職面談、貸与端末の返却確認に応じず、少なくとも1台のAppleのPCを返却しなかった。退職から数週間後、Apple自身が把握していなかった認証の脆弱性を突いてクラウドストレージにアクセスし、技術仕様や未発表製品の詳細、メインロジックボードの製造・試験を説明する資料など数十件の機密ファイルをダウンロードした——訴状にはLiu氏がPeng氏に「LOL、ネットワークストレージにアクセスできることが分かった、超ウケる」と伝えたとされるやり取りまで引用されています。
争点は「個人の不正」ではなく「組織的な仕組み」
この訴訟が単なる転職トラブルと違うのは、Appleが「個人の逸脱」ではなく「採用プロセスそのものが情報収集装置になっていた」と主張している点です。
Appleによれば、Tan氏は採用面接でApple社員の候補者に営業秘密を尋ね、極秘の未発表プロジェクトについて質問した。候補者にはバッテリー、SIP(Systems-in-Package)、mlb(メインロジックボード)、シールドといった部品や製品サンプルを「show and tell」として持参するよう求め、OpenAI側は機密を含むスライドで「Technical Deep Dive」プレゼンを準備させたとされます。さらにTan氏はAppleの退職手続きを記した社内文書を保持し、OpenAIはこれを使って入社予定者にセキュリティチェックの内容を伝え、回避の助言をした——退職面談では何も署名するな、署名を求められたら「asap」で連絡しろ、転職先は明かすな、即時締め出し(通常2週間残るシステムアクセスが失われる)を避けろ、という具合です。Appleはこうした手口が「意図した効果を上げている」とし、OpenAIへの転職者がセキュリティ担当の連絡を無視するなどの傾向を最近確認していると述べています。
サプライチェーンにまで及ぶ主張
もう一段重いのがパートナー企業への働きかけです。Appleは、複数工程からなる独自の金属仕上げ技術を担うパートナーに対し、OpenAIがAppleの許可を得ているかのように誤認させて同技術を実施させたと主張。加えて、電源・バッテリー製造でAppleと組む別のサプライヤーにも、機密情報や社内コードネームを使って部品について踏み込んだ質問をしたとしています。事実であれば、流出したのは文書だけでなく「どこに聞けば何が分かるか」という製造ネットワークの地図そのものです。
OpenAI広報のDrew Pusateri氏はThe Vergeに対し「他社の営業秘密に関心はない。私たちは人々に力を与える革新的な技術の構築に集中している」と述べ、否定しています。現時点はあくまでAppleの一方的な主張であり、事実認定は訴訟の場に委ねられます。
💼 事業会社視点:これは自社にどう効くか
日本企業の役員がこの件から読み取るべきは「退職プロセスは最後の防波堤ではなく、すでに攻撃対象になっている」という一点です。Appleほどの管理体制でも、返却されない貸与PC、未知の認証脆弱性、面談を無視して逃げ切る退職者を止められませんでした。
打ち手は三つです。第一に、退職手続きの再設計。退職通知から2週間アクセスを残す運用は日本の製造業・SaaSでも一般的ですが、少なくとも競合への転職が疑われるケースでは、貸与端末の物理回収と全アクセス失効を「面談の後」ではなく「通知の当日」に前倒しすべきです。第二に、退職者のアカウントを消すだけでなく、退職後のアクセスログ監査を仕組みにすること。今回問題になったのは在職中ではなく退職数週間後のアクセスでした。第三に、採用面接の逆リスク管理。候補者に前職の設計資料やサンプル持参を求めることは、自社が同じ訴状の被告側に立つ経路です。中途採用が生命線の受託開発やハードウェアスタートアップほど、面接での質問範囲を文書化し、教育しておく必要があります。
さらに製造委託を使う企業は、パートナー経由の技術流出という第四の経路を点検すべきです。「うちの工程を、他社の名前で発注されたら気づけるか」——サプライヤーとのNDAにその答えが書かれているか、今週中に確認する価値があります。