何が起きたか

米メディケア・メディケイドサービスセンター(CMS)は、原則メディケア(オリジナルメディケア)を対象に、AIで無駄や不正を減らす実証事業「WISeR(Wasteful and Inappropriate Service Reduction Model)」を6州で開始しました。期間は2031年12月まで。皮膚・組織代替材、電気刺激装置の植込み、変形性膝関節症に対する膝関節鏡手術など、過剰利用に弱いとCMSが見なす医療サービスを対象に、機械学習と人間の臨床審査を組み合わせて評価します。

事前承認(プライアオーソライゼーション)は、保険会社が高額な医療の前に「本当に必要か」を確認する仕組みです。これまで民間保険が中心のメディケア・アドバンテージ(高齢者・障害者の約55%が加入)では広く使われてきましたが、原則メディケアではほとんど使われてきませんでした。WISeRはその原則メディケアにAI審査を持ち込む点が新しいのです。

なぜ重要か

事前承認は本来「過剰医療の抑制」が目的ですが、医師の間では治療の遅延を招き、患者が推奨治療を諦める原因になるとの懸念が根強くあります。米医師会(AMA)の2025年調査では、61%の医師が「AICが必要な治療の否認を悪化させる」と懸念しています。コモンウェルス基金の調査では、民間保険加入の現役世代の約5人に1人が2025年に医師推奨のケアを否認され、否認された人の41%が「ケアが遅れた」、4分の1超が「健康問題が悪化した」と回答しました。

AIは、明白に承認可能な請求を迅速に通し遅延を減らす可能性がある一方、否認を機械的に増やすリスクをはらみます。WISeRでは、参加ベンダーがCMSの言う「回避された支出(averted expenditures)」の分け前を得る設計で、ケア拒否が業者の収益になりうる点が最大の火種です。

背景と論点

過去の実績も不安を裏付けます。2022年のHHS監察総監(OIG)覚書は、メディケア・アドバンテージ計画が「カバー規則を満たすのに否認した」事例が10件に1件超あったと指摘。2024年には否認の81%が不服申立てで覆されました。批判派は、ワシントン・ポスト、KFFヘルスニュース、シアトル・タイムズの調査を引き、WISeRが年初の数カ月で6州すべてでケア遅延と否認を起こしたとします。複数の議員が財源を止める決議・修正案を提出しました。

皮肉なのは、CMSが原則メディケアでAI事前承認を拡大する一方、民間保険(メディケア・アドバンテージ含む)には事前承認を減らし合理化するよう求めている点です。民間側は2027年までに電子申請を標準化し、2026年までに大腸内視鏡や白内障手術など対象サービスを削減すると約束。業界調査では2025年6月〜2026年4月に事前承認申請が11%減りましたが、否認率が下がったかは不明です。

💼 事業会社視点:これは自社にどう効くか

日本企業には「対岸の火事」ではありません。第一に、AI×保険・医療・審査業務を手がけるSaaSや受託開発は、WISeRが示す「臨床審査を挟まない自動否認は使わない」という業界の建前と、「回避支出で報酬」という利益相反の構図から、自社プロダクトの設計思想を問われます。承認・査定を自動化するなら、否認理由の臨床的説明可能性と監査ログを最初から実装しておくことが、将来の規制・炎上リスクへの保険になります。第二に、生成AIで顧客の「可否判定」を下す全業種——与信、保険引受、採用スクリーニング、コンテンツ審査——にとって、WISeR批判は「速く否定し、速く不服申立てする軍拡競争」への警鐘です。日本でも顧客不利益な自動判定には人間の再審査経路と説明義務を組み込む設計が、CX・法務両面で不可欠になります。経営者は「AIで削減できるコスト」だけでなく「AIが機械的に切り捨てる顧客の離反コスト」を同じ天秤に載せて投資判断すべきです。

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