何が起きたか

Google DeepMindは、AlphaFold論文の原著者の多くを社内で配置転換しました。DeepMind自身もこの動きを認めています。移った先は、大規模言語モデルGeminiを軸にしたプロジェクト、酵素設計、核融合、ゲノミクスなど。一部は、2021年にDeepMindからスピンアウトしたAlphabet傘下の創薬企業Isomorphic Labs(NovartisやEli Lillyと提携)へ異動しました。FTによると、原著者のうちフルタイム従業員だった研究者の約4分の1は、会社を完全に離れています。

象徴的なのが人の流れです。John Jumper氏(バイスプレジデント兼エンジニアリングフェロー)とJonas Adler氏は今年、社内の「Code Strike」チームへ移りました。これはAnthropicやOpenAIに追いつくため、AIコーディング能力を強化する目的で編成されたチームです。そしてJumper氏は先月、Anthropicへの移籍を公表。Adler氏、Alexander Pritzel氏も合流します。DeepMindの匿名従業員はFTに対し、3人は「中核メンバー」だったと語り、社内に驚きが広がったと述べています。

なぜ重要か

これは単なる人事ではなく、研究戦略の転換です。研究責任者でAI for Scienceチームを率いるPushmeet Kohli氏はFTに「過去9年間の我々の戦略はグランドチャレンジに集中することだった。すべてのプロジェクトに具体的なゴールがあった」と述べ、続けて「戦略は進化した」と語っています。

AlphaFoldは、専任の研究チームが長期の科学的ブレークスルーを狙うという方法論の、最も分かりやすい成功例でした。2018年に開発が始まり、2024年にはJumper氏とCEOのDemis Hassabis氏がノーベル化学賞を受賞しています。その方法論そのものが、いま手放されようとしている。

「問題ごとの専任チーム」から「汎用エージェント」へ

新しい方向性は、タンパク質折りたたみのような単一の科学課題ごとに研究者を組織するのではなく、Geminiを基盤に科学者を支援し、最終的には科学プロセスの一部を自動化するシステムを構築することにあります。

点を線でつなぐと、構図は明快です。DeepMindはOpenAI、AnthropicとフロンティアのAIエージェント開発を競っています。限られた最優秀人材を「1つの科学課題を9年かけて解く」のに張り付けるのか、「あらゆる科学課題を解ける道具」を作るのに張り付けるのか。後者に賭けたということです。垂直統合型の専門AIから、汎用基盤モデル+ドメイン適用へという重心移動であり、これはAI業界全体で起きている構造変化と同じ向きを向いています。

ただし賭けには両面があります。ノーベル賞級の成果を生んだ組織形態を解いた直後に、その中核メンバーが競合へ移り、Anthropicは今年すでに生物学・創薬向けのClaude Scienceを立ち上げている。汎用化の賭けが正しかったとしても、その恩恵を最初に受けるのがDeepMindだとは限りません。

💼 事業会社視点:これは自社にどう効くか

日本企業の役員にとって、この話は「AI人材をどう組織に置くか」の実例として読むべきです。DeepMindは9年かけて、専任チームによる特化型AI開発から、汎用基盤モデルを土台にドメイン応用する形へ舵を切りました。自社に置き換えれば、「AI推進室」に優秀な人材を囲い込んで独自モデルや特化型システムを作り込む戦略の賞味期限が切れつつある、というシグナルです。

製薬・素材・化学メーカーであれば、自前でAlphaFold的な特化開発を目指すより、基盤モデル側の科学支援機能(GeminiやClaude Science)が自社領域に降りてくる前提で、社内データの整備と評価環境の構築に投資を寄せるほうが合理的です。データと評価軸は模倣されませんが、モデル層は数年で陳腐化します。

SaaS・受託開発では、逆のリスクが出ます。DeepMindが「Code Strike」を編成しAnthropic・OpenAIを追う構図が示すのは、コーディング能力が最優先の競争軸になっているということ。実装工数を売る受託モデルは、ここ数年で最も直撃を受けます。

人材面の示唆も明確です。ノーベル賞受賞者すら、待遇でなく「取り組む課題の質」で動きました。トップ研究者・エンジニアの引き留めは報酬設計だけでは効きません。役員が今日決めるべきは、自社のAI人材に「何を解かせるか」を経営課題として言語化することです。