何が起きたか
Appleはカリフォルニア州の連邦地裁で、営業秘密の組織的な窃取だとしてOpenAIを提訴しました。元Appleエンジニアのチャン・リウ氏がOpenAI入社後にAppleの機密情報へ不適切にアクセスしたこと、さらにOpenAIが退職予告期間中の社員にファイルや仕様書の持ち出しを積極的に促したことを主張しています。
これに対しOpenAIはブログで反論し、Appleの手法を杜撰で過度に攻撃的だと批判しました。公開されたメッセージによれば、リウ氏のApple最終出社日は2026年1月22日。その当日から数週間にわたり、Apple社員が技術的な質問や社内ファイルの所在確認を彼に依頼していたとされます。1月27日には技術的な評価を求められ、リウ氏はApple社内の意思決定に関する詳細を回答。2月14日には同じ社員が回路図について問い合わせています。3月5日には複数のApple社員が参加するグループチャットに追加され、リウ氏は社内フォルダや担当者を案内した後、自ら「Hi, this is highly irregular, please remove me from this thread.(これは極めて異例です、このスレッドから外してください)」と会話を打ち切りました。あるメッセージには「Of course, I could ask several folks, but you are the best. Even if you don’t work here anymore.(何人にも聞けるけど、君が一番だ。もうここで働いていなくても)」という一節もあります。
なぜ重要か
この応酬の本質は、個人の不正の有無ではなく「退職後に残るアクセスと関係」を誰が管理するのかという設計問題です。OpenAIは、退職後もシステムにアクセスできてしまう residual access はAppleで広く知られた問題であり、アクセス管理の甘さに起因すると主張しています。もし社内の現役社員が退職者を情報源として使い続けている実態があるなら、それは持ち出し以前に、情報の所在が属人化している組織の問題です。
さらに、Appleが依頼した外部弁護士のメールには、二つのアジア系の姓を取り違えて別人に送っていた形跡や、OpenAIの法務責任者と電話で話したという記述があり、OpenAI側はそのような通話はなかったとしています。Appleは2月時点で連絡したが返答がなかったと述べていましたが、OpenAIの指摘後に両方の誤りを認めたとされます。しかも当時の往復書簡には、後に訴状へ並んだ具体的な主張は登場せず、弁護士は問題を「sort out any issues(問題を整理する)」と述べたきり、提訴までの約5か月間は沈黙していました。
争点はどこに残るか
注意すべきは、これらのチャットやメールの不備がAppleの中核的な主張を否定していない点です。リウ氏のiMessageのやり取りは、OpenAIが新規入社者に機密情報の持ち込みを促したという、より広い告発には答えていません。OpenAIはタン・タン氏に対する主張も否定しており、Appleに24年以上在籍し最も革新的な幹部の一人と目された同氏は、他社の機密情報は歓迎されないし使うべきでないとチームに一貫して伝えていたと説明しています。
背景には人材と事業の重なりがあります。訴状によればOpenAIには400人超の元Apple社員が在籍し、この訴訟は元Appleデザイナーのジョニー・アイブ氏が共同創業したio Productsを軸とするOpenAIのハードウェア構想と結びついています。iPhoneを作った側と、新しい端末を作ろうとする側の人材移動が、法廷という形式で可視化された構図です。
💼 事業会社視点:これは自社にどう効くか
日本企業の役員が読むべきは「うちにも同じログが残るか」という一点です。まず退職者対応。最終出社日以降も現役社員が元同僚にSlackやLINEで仕様を聞く行為は、日本の製造業やSIerでは日常茶飯事ですが、今回のように相手先企業が公開すれば、自社の管理不備を証明する材料になります。退職日=全アカウント失効を情報システム部門の努力目標ではなく、監査可能なチェックリストに落とすべきです。
受託開発・SaaS企業では、顧客先常駐や出向明けの人員が持つ「頭の中の設計知識」と「持ち出したファイル」の線引きが争点になります。入社時に前職資料の不持ち込み誓約を取り、初日のPCに前職ファイルが存在しないことを技術的に確認する運用が現実的な防衛線です。タン・タン氏の件のように「経営陣が繰り返し明言していた」記録が残っているかどうかが、後の訴訟で効きます。
ECや事業会社の採用側も同じで、競合から人を採る際に「前職の顧客リストや価格表を持ってきてほしい」と示唆する発言は、面接メモ一通で致命傷になります。逆に、退職者に業務を尋ねた社内チャットは自社の属人化の証拠でもあり、ドキュメント整備の投資判断材料として経営会議に上げる価値があります。