何が起きているのか
スマートグラス市場で圧倒的なシェアを持つのがMetaのAIグラスです。Ray-Ban MetaやOakley Metaが街中で見かける存在になるにつれ、学校、裁判所、レストラン、エンターテインメント施設といった公共の場で着用禁止の動きが広がっています。DEF CON 2026の主催者は例外なしの禁止を打ち出し、度付きグラスの利用者に対して「ルールに抵触しないアイウェアを持参するように」と告知したと報じられています。
そこに登場したのが、周囲のスマートグラスを検知するアプリ群です。2月以降、エンジニアたちがRay-Ban Meta、Oakley Meta、Snap Spectaclesなどを検知するアプリを次々にリリース。先発の「Nearby Glasses」はiOS/Android両方で2.99ドル、Play Storeで10万ダウンロード超と最も普及しています。7月にはiPhoneのチャート上位に「Antizuck Smart Glasses Scanner」(3ドル)が迫り、高校教師のレビュアーが授業中の生徒による撮影への懸念を挙げて「これまでで最高の3ドルの使い道」と評しました。8月初旬には無料の「Zuckoff」が登場しています。
検知アプリはどう動くのか、そして何ができないのか
これらのアプリの原理はシンプルで、グラスとスマートフォンをペアリングするBluetooth信号を捉えるものです。裏を返せば、録画中かどうかは判定できません。壁や人体が信号を遮れば検知は不安定になり、誤検知も起きます。Nearby Glassesの開発者Yves Jeanrenaud氏自身がGitHubで「プロの開発者ではない」「Bluetooth LEの検知は期待通りに動かないことがある」「誤検知は起こりうる」と明記し、「技術万能主義を広めたくないし、誤った安心感も持ってほしくない」と釘を刺しています。アプリ提供者はいずれも、着用者が録画していると決めつけないこと、直接対峙しないことを利用者に求めています。
Zuckoffの作者Pawel Szydlowski氏は、この設計思想を実装に落とし込んでいます。同アプリはイエス/ノーの二値ではなく、信号強度から距離を推定して「非常に近い(手を伸ばせば届く距離)」「近い(同じ部屋)」「やや近い」「遠い」という確度付きの表示を返します。この設計は副産物として、スマートグラスの密度が高いエリアを可視化します。
開発の最大の難所は、機種特定に使う識別子の収集でした。メーカーが規制対応のために製品に割り当てる固有識別子を集めるため、Szydlowski氏はInstagramやRedditでスマートグラス着用者の写真を探し、初期購入者に個別にメッセージを送って協力を仰いだといいます。iPhone開発歴10年の同氏は、他アプリの存在を調べもせずに1週間でZuckoffを作り上げ、ポーランドのAppleイベントで同僚2人のグラスを検知して動作を確認しました。
対抗策が生まれる背景にある不信
この草の根の動きは、Metaへの不信と表裏一体です。Electronic Frontier Foundation(EFF)は、包括的な消費者プライバシー法が存在しない現状では、Metaは販売拡大と競合対策のために技術をより侵襲的にする用意があるように見えると警告しています。EFFのスタッフ技術者Cooper Quintin氏は、顔認識のような機能が実装されれば、説得力のあるディープフェイクや同意なき性的画像の生成につながりうると指摘します。
実際、Metaはスマートグラス用アプリに未公開の顔認識システムを密かに組み込んでいました。WiredとEFFが6月に、それが5000万台の端末にインストールされていたことを明らかにし、Metaはこれを削除しています。復活の有無や時期は不明で、MetaはArs Technicaの取材に回答していません。さらにFinancial Timesは先月、カメラと音声で装着者のあらゆる瞬間を記録する「スーパーセンシング」AIグラスの試作を報じました。Metaの内情を知る関係者によれば、経営陣はこの機能の使用時に録画中を示すLEDを点灯させない方針だといい、周囲の人間が録画に気づくのはさらに難しくなります。関係者は、世論の懸念が続けば方針が変わる可能性にも言及しています。
現状、周囲の人を守る唯一の仕組みは小さなLEDだけで、シールを貼れば隠せます。Quintin氏はこれを「何もないよりはマシだが、その程度」と切り捨てました。
検知アプリの本当の役割
Quintin氏は検知アプリを完璧な解とは見ていません。ただし禁止ルールと組み合わせれば、ルールが実際に守られているかを一般の人が確かめられるという点に意味があるとします。「これらが歓迎されないという社会的な共通認識が必要で、同時に誰が使っているかを見つけられる必要がある」。今のスマートグラスは見た目で分かりやすいが、今後デザインの選択肢が増えれば目視は通用しなくなる——だからこそ検知技術が補完的に重要になる、という論理です。
つまり検知アプリは、技術による解決策というより、禁止ルールを実効性のあるものにするための監査ツールとして位置づけるのが正確です。禁止は運用に依存し、技術に明るい警備スタッフ、利用者の自己申告、あるいは気づいた人の指摘のいずれかを必要とします。そのどれもが不確かな中で、確度付きの検知結果は判断材料の一つになります。
💼 事業会社視点:これは自社にどう効くか
日本企業の役員がまず確認すべきは、自社の入館規程・撮影禁止規程がスマートグラスを想定した文言になっているかです。多くの規程は「カメラ・スマートフォンによる撮影禁止」と書かれており、常時装着型のアイウェアを名指ししていません。DEF CON 2026が度付きグラス利用者にまで代替アイウェアの持参を求めたのは、例外を認めれば運用が崩れるからです。製造業の工場見学、金融機関の店頭、開発受託企業の顧客常駐先など、NDA下の現場を持つ企業は文言の更新が先決です。
より深刻なのは受託開発・SaaSベンダーです。顧客のオフィスに常駐する自社エンジニアが個人所有のRay-Ban Metaを着けていた場合、顧客の機密情報が録画されるリスクは自社の契約違反として跳ね返ります。従業員向けの私物デバイス規程に、スマートグラスの条項を追加すべき局面です。
小売・飲食では逆の立場も生じます。EFFが報告する小売労働者への嫌がらせは、来店客が着用者である場合の従業員保護という論点を突きつけます。検知アプリを配るという発想は筋が悪く、誤検知と客とのトラブルを招くだけです。現実的な打ち手は、店頭掲示による着用ポリシーの明示と、従業員が着用者を見つけた際のエスカレーション手順を決めておくこと。判断を現場の個人に負わせないことが要点です。