何が起きたか

2022年春、GoogleはSF作家やニューヨーク・タイムズのベストセラー著者を含む13人のプロ作家に接触し、厳格なNDAのもとで実験的な執筆ツール「Wordcraft」へのアクセスを提供しました。中身はDeepMindが社内で試験していた自然言語生成モデルLaMDA(後のGoogle Geminiの基礎となるモデル)に、執筆向けUIを被せたもの。参加者の一人はEngadgetに対し「サイドにチャットボットが付いたMicrosoft Word」のようだったと表現しています。

各作家には8週間で短編を1本書く時間が与えられ、LLMの出力をどこまで使うかは自由でした。まったくAI生成テキストを使わなかった作家もいます。成果物はDeepMind内のアート研究プロジェクトMagenta(Ableton Live向けの音楽プラグインで知られる)のサイトで、研究者のホワイトペーパーとともに公開されました。

そして2026年8月6日、「反生成AIの絶対主義者」を自称する作家Lily Lachance氏が、このWordcraftのページへのリンクをBlueskyに投稿します(投稿は後に削除)。読書層の多いBlueskyで急速に拡散し、参加者リストを「すべてのクリエイターを裏切った『作家』たち」と題して晒す投稿が人気を集め、13人全員の作品をボイコットするという声まで出ました。

なぜ重要か

この件の本質は「AIを使ったかどうか」ではありません。評価基準が事後に変わり、過去の行為が遡って裁かれたことです。

時系列を並べると構図が見えます。イラストレーターSarah Anderson氏によるAI企業への著作権侵害訴訟のひとつが提起されたのは2023年1月、ホラー作家Paul Tremblay氏と小説家Mona Awad氏がOpenAIを提訴したのは同年6月。つまり2022年春の時点では、著作権を巡る対立軸はまだ法廷に持ち込まれていませんでした。コロンビア大学などで創作を教えるLincoln Michel氏は「当時ほとんどの人はLLMに注目しておらず、真剣に関心を持ち、それを公言する作家もいた」と述べています。実際、Sheila Heti氏が2022年夏にLLMと共作した短編「According to Alice」は、2023年11月にThe New Yorkerに掲載された際、好奇の目はあれど基本的に中立的に受け止められました。

論点は「知らなかった」で通るか

批判側が根拠として挙げるのが、ホワイトペーパー内の「Wordcraftの提案の出所に関する懸念」という節です。そこには複数の参加者が出所不明であることに深刻な懸念を示したと記されており、参加者のAllison Parrish氏は、剽窃でないことを確かめるためにLLMの出力をウェブ検索にかけていたと研究者に語っています。懸念は当時から存在していた、という指摘です。

一方、参加者側の説明も具体的です。シャーリイ・ジャクスン賞受賞作家のEugenia Triantafyllou氏は「ChatGPT以前の2022年、新しいツールについての研究として提示された。著作権のある素材で訓練されていたことは知らなかった」とし、Wordcraftは「ストーリーエディタ」として説明され、頭の中ではLLM以前の音節を組み合わせるファンタジー名前ジェネレーターのようなものだと思っていた、と振り返ります。匿名を条件に答えた受賞歴のあるSF作家も、Googleは技術の仕組みも他の参加者が誰かも説明しなかったと述べています。

中間的な立場もあります。SF作家Vajra Chandrasekera氏は「2022年に参加したのは明らかに間違いだったが、今もAI推進派でない限り、彼らを責めはしない」と長文スレッドを投稿しました。実際、参加者のTalabi氏は「この件で得た最も持続的なものはAIとLLMへの深い憎悪だ。ソーセージの作られ方を見て、拒絶した」と書いています。なおKen Liu氏やRobin Sloan氏のようにSNSをほとんど使わない参加者は、自分の名前が晒されていること自体を把握していない可能性があります。報酬額について参加者は明かさず、Googleは取材に回答していません。

💼 事業会社視点:これは自社にどう効くか

日本企業の経営層が読み取るべきは「PoC参加履歴のレピュテーション負債化」です。生成AI機能を作る側は、外部クリエイターや専門家をモニター・監修に起用する場面が必ず出てきます。出版・ゲーム・広告代理店・受託開発、そしてECの商品説明文生成やSaaSの文章支援機能——いずれも「先生役」の外部人材なしには品質が出ません。

Wordcraftの教訓は、NDAで囲い込んで学習データの出所を説明しない設計が、4年後に協力者を炎上させ、企業側も「説明しなかった側」として名指しされるという点です。Googleは今回も取材に回答していません。

実務としては三つ。第一に、協力者向け説明資料に学習データの出所と権利処理状況を明記し、書面で残す。第二に、成果物の公開範囲と氏名掲載を協力者が後から取り下げられる条項(事後オプトアウト)を契約に入れる。第三に、NDAを理由に協力者が自己弁護できない状態を作らない——「参加の事実と説明内容は公表してよい」と最初に定める。この三点は追加コストがほぼゼロで、数年後の炎上コストを大きく下げます。生成AI活用の是非より、協力者を守る契約設計のほうが先に問われる局面に入りました。

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