何が起きたか

Glassdoorのシニアエコノミスト、Chris Martin氏によれば、投稿内でAIに触れた損害査定担当者のレビューは98%が批判的でした。Martin氏は結果を二度見したと述べ、この職種が「清算の渦中にある」と結論づけています。実際のレビューには「AIアプリは全部ゴミだ」「AIを全員に押し付けるのはやめてくれ」「人間に頭を使うなと言うほどのAI推進はうんざりする」といった言葉が並びます。Glassdoor側は、査定担当者の不満を「AIに取り憑かれた経営陣が、エラーだらけのAIを従業員と顧客に押し付けている」と要約しています。

数字はそれ以上に厳しいものです。BLSは2024年時点で、米国の損害査定担当者が今後10年で18,900人・5%減ると予測していました。ところが実際には、2025年5月から2026年5月のわずか1年で21%減少しています。10年分の予測を大きく超える速度で職が消えたことになります。BLSはこの減少の主因として技術を挙げており、LiberateやPaceといったAIスタートアップが保険の「再発明」を掲げて数百万ドル規模を調達する一方、保険会社側も査定業務でのAI活用を拡大しています。

なぜ重要か——「置き換え」ではなく「手戻りの転嫁」

注目すべきは、現場の不満が「仕事を奪われる」ことよりも「AIの尻拭いをさせられる」ことに向いている点です。約1年前、大手保険会社の査定部門にいたAhmad Jackson氏の勤務先は、初期の損害受付——事故発生時に案件を立ち上げ、情報を集める工程——にAIを導入しました。設計思想としては、単純な案件をAIが処理し、複雑な案件は人間に回すはずでした。しかし実際に起きたのは、誤分類された案件が大量に流れ込み、担当者が振り分け直す作業でした。Jackson氏はAIが生成した案件サマリーの中に幻覚(ハルシネーション)を見つけ、それに気づかず伝えてしまった結果、契約者やその代理人弁護士の怒りを買っています。彼は退職し、別の保険会社へ移りました。

コンサルタントに転じた元査定担当者のSandy Avina氏は、担当者が「出力を信頼していない」と表現します。弁護士から届いた書類の汚れひとつ、医療記録のAI要約から抜け落ちた一点が、幻覚と誤った支払額につながるからです。しかも顧客の側は、混乱や誤情報の原因がAIだとは気づかず、担当者本人のミスだと受け取ります。導入企業がコスト削減を計上する一方で、品質リスクと信頼の毀損は現場の個人に転嫁されている構図です。アラバマ州モービルで査定部門の幹部を務めるGeoffrey Conrad氏は、業界に「AI疲れ」が広がっていると語ります。

自動化の到達点と、越えてはいけない線

技術的な達成自体は本物です。査定領域のAIは、事故受付のチャットボット、実地調査の代わりに写真・動画から支払額を見積もる画像解析、数百ページの医療記録の要約、アップロードされた書類からの即時自動支払いにまで及びます。2015年創業のLemonadeは、官僚主義を「ボットと機械学習」で置き換えると掲げ、昨年末時点で自社チャットボット「AI Jim」が初期受付の96%を処理し、全請求のおよそ55%を自動化が担っています。同社のPaul Staats氏は「AIは保険と経済の多くの職を左右し、既存プレイヤーを脅かす」と認めたうえで、自動化によって従業員は最も複雑な案件に「共感、配慮、専門性」を注げるようになるとし、Glassdoorの報告は業界全体が真剣に受け止めるべきだと述べています。State FarmのJustin Tomczak氏も、査定には人間とデジタル双方の専門性の組み合わせが必要だとし、ツール改善の目的は「顧客を助けるという最も重要な仕事に時間を使えるようにすること」だと説明します。

現場も一律の拒否ではありません。Jackson氏はレンタカーの予約を数日延長するといった「雑務の電話」にAIを使い、事務作業には有用だと認めています。線引きの所在を示すのはConrad氏の言葉です。25年前、保険業界に入る前に自宅を火災で全焼させた彼は、あのとき「誰かが写真を撮りに来ただけでAIが見積もりを出す」と言われていたら「正気を失っていただろう」と振り返ります。彼が必要としていたのは「自分と家族が無事だと確認してくれる誰か」でした。「AIはあくまで道具です。鍵を渡してはいけない」——人間性の代替としてAIを使うのは危険な戦略だ、というのが彼の結論です。

Martin氏は、Glassdoorのデータ上、従業員が人員削減の気配を感じ取ると投稿は一段と反AI的になり、また質の低いプロダクトを自分や顧客に押し付けられたときにも懐疑が強まると指摘します。「仕事がない、まともな就職先がない」という状況が、批判の温度を押し上げているわけです。

出典: WIRED

💼 事業会社視点:これは自社にどう効くか

日本企業への含意は、損保業界より先に「AIを現場に配る側」の経営に効きます。

第一に、ROIの���上場所を間違えると数字が嘘になる点です。米国の査定現場で起きたのは自動化による工数削減ではなく、誤分類の振り分け直しとハルシネーション検証という新しい工数の発生でした。損保・生保のほか、EC事業者の返品・不正検知、SaaSのカスタマーサクセス、BPO・受託開発の一次対応でも同型の失敗が起こり得ます。導入効果を測る際は「AIが処理した件数」ではなく「人間の手戻り時間を含めた総処理時間」をKPIに置くべきです。Lemonadeの受付96%・自動化55%という数字も、処理率であって最終品質の指標ではありません。

第二に、エラーの責任が個人に落ちる設計は必ず離職を生むという点です。顧客はAIの誤りを担当者のミスと受け取ります。AI出力を顧客に渡す業務では、出典表示・人間の承認ゲート・誤りが発生したときの免責と是正の手順を制度として先に用意してください。これがないまま導入すると、Jackson氏のように優秀な担当者から抜けていきます。

第三に、採用の蛇口を先に締めないこと。未経験求人50%減は、5年後に複雑案件を裁ける人材がいなくなることを意味します。AIが単純案件を吸収するなら、人間の育成経路を別途設計するのが経営の仕事です。

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