何が起きたか
AI関連イベント「VB Transform 2026」で、食品デリバリー大手Instacart(インスタカート)のCTOアニルバン・クンドゥ氏が、同社の開発現場でAIエージェントがコード生成とボイラープレート(定型コード)の大半を担うようになったと明かしました。特に新しいプロジェクトではコードが週次で生成・再生成され、開発者が実際にコードを読むケースは全体の97%で消えたといいます。
残る3%は、レガシーシステム、コンプライアンス対応、レイテンシー(遅延)にシビアな基盤、あるいは大量の「死んだコード・半分だけ動くコード」など、人間の判断が要る領域です。同社は反復的で大量の開発作業をAIエージェントに吸収させ、人間は判断・意図・例外処理に集中すべきだという立場を取っています。
「技術的負債を気にしない」の真意
注目すべきはクンドゥ氏の「技術的負債をもう気にしていない」という発言です。使われていないコードは破棄され、必要なときに作り直される——かつて人がアセンブリやオブジェクトコードをいちいち読まなかったのと同じ構図だ、という論理です。コードは「保守する資産」から「そのつど生成される中間生成物」へと位置づけが変わりつつあります。
これに伴い、コードレビューの意味も変質します。「行は正しく、構文も期待通りになる」ため、レビューよりも“正しい問いを立てる力”が重要になる。同社はこれを『intent(意図)モデル』と呼び、開発者を「異なるAIモデルに適切な質問をぶつける」訓練へシフトさせています。品質は独立した評価で担保し、月約7,000件の自動評価と、8,000件超のリアルタイム開発者クエリを約99.9%の精度で処理しているといいます。
AIが人間の直感を上回った障害対応
象徴的なのが、自社の障害対応(SRE)を担うAIエージェント「Blueberry」です。汎用の障害データではなく、同社が長年蓄積した過去のインシデントと根本原因分析で訓練されており、約200のSlackチャンネルを監視し、人間の会話とアラートの横断的なパターンを探します。本番障害の検知・緩和精度は約60%から90%超へ改善したとされます。
あるインシデントでは、EBS(AWSのブロックストレージ)上のデータベースシャードに“ヒカップ(瞬間的な不調)”が発生。人間チームはすぐにAWSのディスクを疑いませんでしたが、約20分後にBlueberryが異変を捉え、「roulette」と呼ばれる機能フラグ的な仕組みの過剰なロールアウトに原因を結びつけました。クンドゥ氏は「人間は慣れたパターンに引きずられる」と述べ、あらゆる可能性を網羅的に評価できる点でエージェントが人間の直感を上回りうると指摘しています。
さらに同社は『Atoms』というプロジェクトでシステムをモノリスからRPC(遠隔手続き呼び出し)駆動のモジュール構造へ分解・再構築中で、ドメイン知識を特定チームに閉じ込めず、定義や仕様に埋め込んで「コードを組織横断で民主化する」方向を目指しています。
💼 事業会社視点:これは自社にどう効くか
日本の事業会社が受け取るべきは「AIでコードを速く書ける」ではなく「コードを資産と見なす前提そのものが崩れる」という点です。受託開発・SIerにとっては打撃と機会が同居します。保守運用や技術的負債の解消を売り物にしてきたビジネスは、コードが週次で再生成される世界では価値が薄まる一方、Instacartの『intent モデル』のように“正しい仕様と評価の設計”を担う上流工程は逆に価値が上がります。SaaS事業者は、月7,000件の自動評価や99.9%精度の検証基盤のように、生成物を大量に検証する仕組みを内製できるかが競争軸になります。ECや自社サービス企業の役員がまず動くべきは、障害対応の知見です。BlueberryはInstacart固有のインシデント履歴で訓練され精度が60%→90%超へ上がった——つまり自社のログ・障害記録という“独自データ”こそが差別化資産になる。汎用AIツールの導入検討より先に、自社の運用ナレッジを構造化・蓄積しているかを点検すべきです。組織面では、特定チームがコードを握る体制からドメイン知識を仕様へ埋め込む体制へ——属人化解消の投資判断が経営課題になります。